6月3日土曜日。新宿武蔵野館で開催された「新宿東口映画祭」にて、
今夏公開のドキュメンタリー映画「認知症と生きる 希望の処方箋」がプレミア上映された。

筆者は正直、「認知症」という深刻なテーマの映画を観に行くのは気が重かったが、
以前野澤監督にお会いしたとき、監督は「映画は心のカタルシスだ」と仰っていた。
「お金払って映画観て、悲しい気分で終わるの嫌だろ?僕の映画はテーマだけ聞くと悲しい、苦しい話と思うかもしれないけれど、最後には希望があって、観て良かったなぁと思ってもらえるように作っています」
その言葉を信じて観に行ったところ、現実は厳しいけれど、人間の心の美しさに触れてじんわりとあたたかい映画だった。
今回は野澤監督のインタビュー第二弾として、監督自身の闘病経験や「偏見の病」論を伺った。
なぜ人は偏見を生むのか?
野澤さんの過去作に「がんと生きる 言葉の処方箋」がありますが、こういった病気にフォーカスする背景は?
僕はずっと、学生時代から偏見の構造をずっと研究してたの。
偏見が生まれるのは階級であったり経済的な理由であったり。そういった偏見の対象になる人間や現象っていうのは村八分に遭うわけ。捨てられる運命にあるわけね。総称して少数派、マイノリティと呼ばれる。
「なぜ人間はマイノリティを作るのか?」というのがずっと僕の頭の中にあって、
その中で、僕が最初に作ったのはハンセン病の映画でした。「偏見の病」が僕のテーマだったわけ。
ハンセン病の次は癌に出会ってね、癌には「死」という偏見がつく。癌は他の病とは違うでしょ?癌になってしまったら絶望するよね?風邪引いても全然動揺しないよね?
同じように、認知症も治らない病。
今の医学では敵わない、終(つい)のない病気。
ということで、これら「偏見の病」を深く知りたくなって、映画にしました。
偏見やマイノリティに興味を持ったきっかけは?
小学生のときに、故郷の新潟から神奈川の方に転校したんですよ。
すると、言葉が違うってことで強烈ないじめが待っていたんだね。
ところがね、振り返ると、僕はいじめられていたけど、その僕が隣の席の女の子をいじめたらしいんですよ。後で女の子のお母さんが先生に連絡したらしくてね。
自分自身ではわからないんですよ。ふざけたつもりなんだけども、俺がいじめられたストレスを、その女の子にぶつけてしまっていたのかもしれないね。無意識に。
それを後で思い出して「いやぁ……」と思ってね。参ったよ。やっぱり自分にもそういう気持ちがあるんだなあというのが……。
他人事じゃないなと思いました。人を差別するという気持ちは。
例えば、東大がすごくて無名の大学がダメとかね。全く同じような構造。
そういう社会構造が、人間社会には当たり前にあるなあと思いました。
なぜだろうって、今でも思います。
自身が「偏見の病」に
ちなみに、野澤さんご自身は今まで何か大きい病気されてますか?
62歳で、ちょうど癌の映画を作るときに大腸癌になりました。30センチの癌があったんだよ。
ロケでフランスに行ったときに現地でさ、トイレで出が悪いんですよ。おかしいなと思いながら帰ってきて、そしたらもう完全に出なくなって。病院に行ったら、腸閉塞だと。すぐ入院して調べたら大腸癌。30センチの癌ができてたの。
30センチって大病ですよね……大丈夫だったんですか?
そうだね……大腸癌のステージ3のBっていう、悪い方だった。
大丈夫というか、僕はたまたま今も生きてるっていうだけの話でね。
まあ色々考えたけどね。「ダメかなあ、ここで死ぬのかなあ」と絶望したりして。でも諦めないで治療しようと思ったよ。一生懸命、落ち込まないようにやってきました。
でも大変だったよ。腸を切る手術ってことはお腹をガバーっと切るでしょ、そうすると手術後しばらくは傷が痛んで起き上がれないわけ。だから大変だった。必死ですよ。ちょっと動くのにも必死だった。
癌になったご自身の体験から、「がんと生きる 言葉の処方箋」を撮ろうと?
いや、映画の方が先でした。取材が始まってから一年目に癌になった。
すごい偶然ですね……制作途中でご自身が癌になって、心境の変化はありましたか?
共感しました。癌の患者さんたちに。
それまでは癌の人に対して可哀想にっていうスタンスだったけど、自分が癌になって、絶望を味わって。
それから仲間意識が芽生えたね。俺も癌じゃん!って(笑)

あとは病気というと、尋常性白斑っていう、皮膚が変色する病気に最近なりまして。
でも俺はこれになって嬉しい。ハンセン病の人も皮膚に出るでしょ?それでようやく彼らの気持ちがわかったから。ようやく晩年にして、癌といい皮膚の病気といい、彼らの気持ちが体験からわかるという。不思議な感じです。
監督自身が「偏見の病」に罹ったことで、リアリティというか、当事者目線の作品作りに活かせたと
そうですね。ただし映画なので、偏見がどうとかそんな難しい話はしていません。微笑ましい感じと、よかったなあって感じで作ってありますので。
内容を重たくしすぎないという点も、野澤さんの作品の特徴でしょうか?
そうですね、映画は心のカタルシスと思っているので。
やっぱり映画館を出た後は「よかったなあ」「スッキリしたなあ」という気分になれるのを作りたいです。
ドキュメンタリーといえどもカタルシス、カタルシスというのは精神の浄化、そういうふうなスッキリする、清々しくなるような作品を作りたいと僕は思っています。僕の作風はそういうふうにしています。
冒頭でも書いたが、野澤監督の言葉を信じて筆者はプレミア上映に足を運んだ。途中涙が出るシーンもあったが、悲しみの涙ではなく、あたたかい涙だ。歳をとってしわくちゃになっても、記憶がなくなっても、人の心は曇ることなく美しい。
「NO MUSIC, NO LIFE!」とはよく言ったものだが、音楽で救われている人は本当にいるんだなと感じられた。 そして音楽は若者だけの拠り所ではなく死ぬまで付き合ってくれるものだという学びを得た。素敵な映画でした。ありがとうございました。
今週公開!新作情報
野澤監督の新作ドキュメンタリー映画「認知症と生きる 希望の処方箋」は新宿武蔵野館他にて8/11(金)から劇場公開!
公式HP:https://www.ninchishoutoikiru.com
次回のインタビュー第三弾では、ドキュメンタリストとしての野澤監督の作品作りへのこだわり、信念を深掘りしていきます。お楽しみに!


野澤和之
1954年生まれ、新潟県出身。立教大学文学部大学院修了。
文化人類学を学んだ経験から文化社会の周縁にいる人々を描いた作品が多い。
在日韓国人の半生を描いた「HARUKO」、フィリピンのストリートチルドレンを描いた「マリアのへそ」(SKIPシティ国際Dシネマノミネート)両手両足のない女性中村久子を描いた「生きる力を求めて」(文部科学省選定)、瀬戸内海に浮かぶ島のハンセン病療養所で暮らす夫婦の愛の物語「61ha絆」(文化芸術振興費補助金・文部科学省選定)、「がんと生きる言葉の処方箋」(文部科学省選定・厚生労働省推薦作品)他。
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