野澤和之監督のドキュメンタリー映画、「処方箋シリーズ」の第二作として最新作「認知症と生きる 希望の処方箋」が新宿武蔵野館にて公開された。
LIFE PICTURESでは野澤監督へのインタビューを3回に渡り掲載してきたが、
第1回は監督が今作に込めた思いや制作秘話、第2回は「偏見の病」論と自身の闘病体験についてお話を伺ってきた。最終回となる第3回では、ドキュメンタリストとしての野澤監督の作品作りへのこだわり、信念を深掘りしていく。これまでの野澤監督を知っている人も、今ドキュメンタリーを作っている若い人も必見の内容である。
最も大切なのは、対象との信頼関係
野澤さんの過去作には、病気の他に在日韓国人やフィリピンのストリートチルドレンがテーマのものがありますが、海外で生活していた時期もあるのでしょうか?
大学時代は人類学専攻ですから、ネイティブ・アメリカンの居住地のサンタフェで人類学の研究をしていました。
帰ってきてからテレビ番組をやるようになって、アジア、アフリカに取材に行くことが多くなって。
東南アジアに行くたびに目に付くのは路上の子供たち。なんとかできないかなって、なんともいえない心境になりましてね。
それで僕は30代後半くらいで、一大決心してフィリピンの路上生活者の映画を作ろうと思って、動きました。それが「マリアのへそ」です。
テレビの仕事で得たお金は全部そっちに注ぎ込みました。フィリピンに2ヶ月間滞在して、そこで子供たちを訓練して。
あれは正確にはドキュメンタリーじゃなくてですね、路上生活者の子供たちに自分の生活をカメラの前で再現してもらうという、非常にリアリズムの強い劇映画です。
出演する子供はオーディションして、高校を卒業するまでの授業分のギャラを払って、路上生活者に「現実を演じてもらう」と。そういう作品です。
ただ道端にいる子供を撮るのではなく、正式にオーディションをしてギャラを払って撮るんですね。
路上の子供たちっていうのはやっぱり人権問題というか、配慮してあげないとね。隠し撮りなんかとんでもないですよ。ちゃんと説得して、路上の子供たちの親分に仁義をつけて。
撮影の前にしっかりとコミュニケーションを取って許可を貰うと。取材対象の人と信頼関係を築くというのは取材の基本ですね?
まあ、作る人にもよるでしょうね。
僕の場合はクランクインまで半年、フィリピンに通い続けました。趣旨を説得して、人間関係を作って……。
キーパーソンと会って、協力者を募って、そういうふうにチームを作らないとできないですよ。
なるほど、映画を撮るにあたって地盤固めのところからかなり時間をかけてやられていると。
おっしゃる通りです。
僕はこの映画に賭けていて、実際にもまあまあ評価されました。
ただ、そんなことをしても未だにフィリピンでは路上生活者は変わらず。
映画一本で社会変革を起こそうなんてちょっと無謀だったなと思いました。
そんなものじゃ社会は変わらなかった。
でも感動したという人がいてくれたので、それなら良かったかなあと。
勝負をかけた作品だったけど、なんとも言えない作品になりました。
でも面白かったですよ。撮影も面白いしフィリピンも楽しいし。

「この人に会いたい」
野澤さんは話もお上手ですし話しやすい雰囲気がありますが、その会話スキルはどのように身につけたのでしょうか?
そんな、僕は昔はもう本当にナイーブな貧乏学生でしたよ。何日も人と話さないっていうのもあったし。
だからどこでその話術を覚えたかっていうと、学生時代のフィールドワークだね。
実習で文化人類学のフィールドワークに行くんですよ。ノートと鉛筆持って、現地の人に話を聞いて。そういう訓練が取材に役立ったかもしれないね。
あとはやっぱり、テレビ取材かなあ。30代のテレビをやってた頃にそういう交渉するのが上手くなったのかもしれない。
どうすれば人と上手く交流できるのか、言葉を引き出せるのかと色々考えて。試行錯誤を繰り返したような気がしますね。
しかし、話術が上手い下手じゃなくてやっぱり嘘をつかないことですよ。
嘘をつかずに普通に話すってことは一番大事なことだと僕は思ってますね。
あと、無礼だって怒る人もいますけれど、僕は基本的には、例えば社長に話す言葉とホームレスに話す言葉はそんなに変えないですね。
それはやはり差別や偏見に対して敏感ということでしょうか?
全員に無礼を働くんじゃなくて、誰に対しても同じように交流したいというのが根底にあります。
そのためにお互いに裏表なく接したいと思っています。
相手が偉い人だから、撮影させてもらうからという理由で特別持ち上げて話すとか、そういうのはしないですね。
嘘をつかないとか、人によって態度を変えないのは信頼関係を作りやすいですね。簡単なようでなかなかできることではないですよ。
別に努力してるとかではなく、普通ですよ。
努力すると、疲れ切って何もしたくなくなるじゃないですか。そんな無理したらダメ。
誰かを取材するときには「会いたい」っていうのが僕の中にあって。
あとは本物に会えたらとっても嬉しいね。
前のインタビューでもおっしゃっていましたが、「本物」について詳しくお聞かせください。
本物っていうのは、自分の信念を貫いて生きている人。
背伸びしないで自分を信じて一歩ずつ歩いている人に会うとね、
「ああこの人は本物だなあ」って感動します。
それはドキュメンタリーを撮っていて嬉しいことです。「ああ本物に会った!」って。
今まで撮られた作品の中で、「この人本物だな」って思った人は?
全部、僕の映画に出てくる人たちは全部本物の人だと思って撮っています。
何がきっかけで出会うんですか?
偶然出会うのはあまりないですね。「この人に会いたい」ってその現場に行ったり。
共通の知り合いなどもなく、本やテレビで知った人に突撃する感じでしょうか?
基本的には自分で現場に出向きますね。
例えば癌の取材のときだったら「がん・哲学カフェ」っていうカフェに顔出して、観察するとか。
本やテレビで見てっていう一次情報ではドキュメンタリーは撮れません。
この目で会って、見て、話してっていうのが基本ですね。
誰かの紹介っていうのもそれだけではどうなのかなって思います。自分の目で確かめないと。
興味を持ったテーマがあって、現場に行って、自分の目でちゃんと確認して。
そうです。ホームレスのドキュメンタリーを撮ろうと決めたときは、実際にホームレスとして暮らしたこともありますよ。
すごいですね。
学生時代は文化人類学を専攻されていてフィールドワークが多かったと思いますが、調査したことを人に伝える手段は色々ある中で、なぜ映像というメディアに行き着いたんでしょうか?
文化とは英語でカルチャー。語源は「Cultivate」=耕すってこと。つまり人間が生活する上で作った装置。それを文化っていうのね。
文化人類学の原点はまずそれを記録しようと。記録の手段が言葉、写真、で20世紀に入ってからはムービーね。
僕はその中で写真を撮っていたのが始まりだね。
アメリカの人類学者が当時「ナバホ・スルー・ジ・アイズ」ナバホ・インディアンの目を通してっていう本を出したのね。ナバホ・インディアンに16ミリだか8ミリのカメラを渡して、撮ってくれと。その記録から彼らの文化体系を読み取るという。もう文化が全然違うの。
文化の記録には、言葉よりも映像を加えたらより分かりやすいと。
そういうのがその本には書いてあるわけ。
映像見ると、文化構造までよく見えるわけ。面白いですよ。
僕が映像に興味を持ったきっかけはそれかもしれない。
大学院生の頃、これからの人生をどうしようかなーって。研究職に戻るのも嫌だなあと思って、大学の世界は捨てたわけ。それでこの道に入りました。
30代の頃はテレビの仕事をしてて、最初は旅番組。タレントと一緒に世界のマリンリゾートとかいっぱい行きまくってさ。で「美味しい〜」とかそんなんばっかり、くだらない……(笑)楽しかったけどね。それが30代前半だったね。
その後ドキュメンタリーの世界に?
はい。さっき言ったホームレスの取材に行ったのは96年くらい、だから40代の時だね。
しかし、ホームレスと一緒に生活するっていうのも、結局フィールドワークですよね。学生の頃から一貫しているというか。
後から考えたらそうだね。当時はそんなこと考えてなかったよ。
取材のために、自身もホームレスとして生活するってすごい行動力ですね。
ドキュメンタリーを作ろうって思ったから、じゃあ自分も入ろうと。それだけですよ。当時はまだ誰もホームレスにスポットを当ててなくて。
この頃、ホームレスに人はあまり関心がなかったんでしょうか?
なかった。ホームレスの番組なんか誰も持ってこなかったから、僕が先駆けだね。なかなか入れないよ。当時ホームレスの世界にカメラ持って入るのは非常に危険なことだった。
そういう時代だったんですね
うん、世間から離れたいからホームレスになるんだもん。
僕はまず半年間、そこに住んでね、誰を対象にするかって探して、友達になって、わけを話して。
僕が選んだホームレスは、カラスと犬を飼ってる夫婦。これが面白いなあと思って。
いけるなと思ってね。良い作品ができましたよ。
その作品名は?
1997年の「ザ・ノンフィクション」で、「涙の川 野宿の夫婦愛」です。
野澤監督はこの作品で、「ザ・ノンフィクション」の黄金時代を築いたディレクターの一人となった。
それ以降も精力的に作品を発表し、新作「認知症と生きる 希望の処方箋」が公開された現在も既に次回作の取材を始めているという。
いわゆる「社会的弱者」にあたる人々をあたたかい視点で撮りながらも、社会に対して疑問を投げかけ続ける野澤監督の作品たち。今後も目が離せない。否、目をそらしてはいけない。
新作情報
野澤監督の新作ドキュメンタリー映画「認知症と生きる 希望の処方箋」は新宿武蔵野館にて絶賛上映中!


野澤和之
1954年生まれ、新潟県出身。立教大学文学部大学院修了。
文化人類学を学んだ経験から文化社会の周縁にいる人々を描いた作品が多い。
在日韓国人の半生を描いた「HARUKO」、フィリピンのストリートチルドレンを描いた「マリアのへそ」(SKIPシティ国際Dシネマノミネート)両手両足のない女性中村久子を描いた「生きる力を求めて」(文部科学省選定)、瀬戸内海に浮かぶ島のハンセン病療養所で暮らす夫婦の愛の物語「61ha絆」(文化芸術振興費補助金・文部科学省選定)、「がんと生きる言葉の処方箋」(文部科学省選定・厚生労働省推薦作品)他。
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