ドキュメンタリー評論1 野澤和之
ドキュメンタリー映画とは、一体何だろうか?
そんな素朴な質問に応えるためにドキュメンタリー映画だけの評論を始めようと思う。
他人の作品を語る前に、まず自分の作品からスタートしよう。「がんと生きる言葉の処方箋」は上映してから3年経っているので、多少は客観的に見れるような気がする。
最近発売されたDVDを鑑賞した。この映画は、樋野興夫先生が提唱してがん哲学外来をもとにメディカルカフェを運営するがん体験者を追ったドキュメンタリーだ。年齢は10代から70代まで、男性も女性もいる。がんとどう向き合って生きるかが問われている。
観ているうちに涙が込み上げてきた。撮影した人々の中で、天国に逝かれた方を思い出した。無常観のようなものを感じた瞬間だった。しかし、涙が乾くと爽快な気分になった。
がんを体験した人々の言葉は、なんて力強いんだろう。このドキュメンタリーは、それを実証するために構成されている。これは、ありきたりのヒューマンドラマの枠では捉えられない。
主人公たちには、すべて個性がある。映画の時間の中で、適切にその個性を表現している。
一番若い、高校生の主人公に特に惹かれる。これは、撮影時も変わることがなかった。
理由を自己分析するが、「とてつもない明るさ、前向きさ」にまぶしいほど魅了されるのだ。
それは、楽観的に生きることが難しい現実が存在するからだろう。だからこのドキュメンタリ-はがんという死をイメージしやすい病の主人公たちでも、夢を持てる。
ドキュメンタリー映画とは何だろう?そう見る人に夢を与えることができなければいけないと思う。
言い換えるば、ドキュメンタリー映画は、カタルシスを体験する場を与えなければならないのだ。