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山梨県、富士山を望む甲府盆地。障害者福祉サービス事業所「みらいファーム」を舞台に描かれるドキュメンタリー映画「フジヤマ・コットントン」をご紹介します。劇場公開初日、ポレポレ東中野に観に行ったのですがレビューが遅くなってしまいました‥。東京はもちろん、まだまだ全国各地で上映しているようです。【公開情報】→https://fujiyama-cottonton.com/theater.html
たまたま居合わせてしまったかのような空気感
青柳拓監督、パンフレットのプロフィールを見るとまだ30歳になったばかりの若手監督ですが「ひいくんのあるくまち」「東京自転車節」など既に劇場公開作品を世に送り出している監督さんです。映像もしっかりしているというか、丹念に撮影されているので落ち着いて観ることができます。被写体との距離感も、程よいというか、絶妙というか。監督や撮影者が「介在」している感が極めて少ないので、映画を観ているうちに、まるで「みらいファーム」に、たまたま居合わせてしまったかのような感覚に襲われます。これって実はすごく難しいことで、やっぱりカメラって「異物」なので、何かしら被写体を萎縮させてしまったり、浮き足立たせてしまったりするものですが、そういう雰囲気がない(ように思える)。1年通いながら撮影したとのことですが、やっぱり一朝一夕では生まれない空気感ですね。
日々の生活を丹念に描写している映画なので、何かオチがあったり、何かの「目的」みたいなものを達成できるかどうか!?みたいな起伏があるわけではありません。はじめにこう言ってしまうと「じゃあ、つまらなかったのね」と受け止められがちですが、私にはとても満足感の高い映画でした。と言うかおもしろかったです。ではこの映画の、どの辺が満足感が高かったか?自分でも考えてみることにしました。
「あの事件」に立ち尽くしてしまった人に
「フジヤマコットントン」を観に行こうと思ったきっかけは、監督が何かのインタビューで言っていたに「自分なりの植松死刑囚へのアンサー」という言葉がすごく気になったからです。思い起こすのも気が重くなる「津久井やまゆり園事件」。多くの人が怒り、悲しみ、打ちひしがれた事件ですが、「命の尊厳を何だと思っているのか」と言葉にしてみても、胸の中の沈痛が消えない、そんな衝撃的な事件でした。
青柳監督がどんなアンサーをしたのか?ぜひ劇場で確かめていただきたいと思いますが、以下は私なりの解釈。そのアンサーは言葉にすれば「生きていることへの祝福」ですが、これを映像表現するのはそんなに簡単なことではありません。何か特別なイベントに合わせて撮影を行えば、笑顔あふれる「祝福」感を打ち出すことはできると思いますが、「そういう日もあるでしょうね」という表現にしかならない気がします。誰もが「特別な一瞬」をスマホで記録できる現代、そのぐらいのリテラシーは誰もが持っているでしょう。
この映画には、そんな作意ではなく「日々の小さな祝福」をコツコツ積み重ねるという地味で難しい仕事に挑んだから、意義があるのだと思います。カメラは「みらいファーム」の周囲をたゆたうように入居者の姿を映し撮っていく。「何か起こってくれないと映画にならないよ」みたいなスケベ心も映像からは感じない。でも日々起こる小さな祝福を一緒に体験したかのような、気持ちになる。これが私の感じた満足感なのでした。
「撮影」という暴力行為と向き合う
パンフレットを読むと、今作の制作にあたって青柳監督はニコラ・フィルベール監督の「すべての些細な事柄」を参考にしたそうです。昨年ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲った「アダマン号に乗って」が記憶に新しい、フランスの巨匠ですね。私もニコラ・フィルベール監督は敬愛する監督の一人です。その「アダマン号に乗って」のインタビューでこんな「問い」を持っていたとのこと。「病気に苦しむ人を搾取することなく、カメラがそれを持つ人たちに与える力を力を濫用するのではなく、撮れるのだろうか?」
こうした「問い」はかつて、プロの撮影者が抱える悩みやジレンマでした。要するに、取材対象者を「材料」として扱い、自分の言いたいことのために使ってしまう危険性のことです。ただ現代においてはスマホを持ち歩くすべての人に当てはまる問いなのかな、と思います。撮影って使い方によっては暴力にもなりうるってことは、実感している人が多いのでは?
天使はいる 私たちと地続きに
ドキュメンタリー映画というのも、シンプルに言えば「撮って、共有する」ということです。ただSNSのように「短く、強く、端的に」とは違う世界がそこにはある。この映画を一緒に観た人は、ある登場人物のことを「まるで天使みたい」と言っていました。天使はいる、しかも私たちが暮らす場所と地続きに。そんな感情を起こすことができるのは、ドキュメンタリー映画だけだと思います。「カメラというのはこういう使い方もできるのだ」という観点でも見てもらいたい作品です。