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LIFE PICTURES

【感想レビュー】美と殺戮のすべて

公式HPより

写真家ナン・ゴールディンがオピロイド危機の元凶である、大富豪のサックラー家と戦う姿。そして彼女の人生を彼女の撮影した写真と共に描いたドキュメンタリー映画「美と殺戮のすべて」を紹介します。公開日から1ヶ月経ってしまい上映館が減ってきていますが、アップリンク吉祥寺などではまだまだ上映しているそうです。【公開情報】→https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=atbatb

戦う敵は、サックラー家だけなのか

この作品では、オピロイド危機の元凶であるサックラー家との戦いを描いているが、私は本当に敵はサックラー家だけなのかという疑問を持ちながら見ていた。ナン・ゴールディンは、サックラー家と戦うために「P.A.I.N.(Prescription Addiction Intervention Now/処方箋中毒の介入)」を設立し抗議を続けていく。しかし、敵は大富豪で地位も名誉も手に入れている一族であり、巨額の寄付を長年続け世界中の美術館に絶対的な権力を誇っていた。その一族に対して最初はたったの12人で抗議をしていた。
抗議を続けるうちに少しずつサックラー家からの寄付を拒否する美術館も出てきたが、成果が見えるにつれP.A.I.Nのメンバーに対する嫌がらせや尾行などが起きてくる。尾行を行った人物は不明だが、彼女たちの事を嫌う・邪魔に思う人間が増えているのは間違いない。またP.A.I.Nのメンバーが2019年ニューヨーク州の公聴会に呼ばれたのち、抗議集会に参加し逮捕されるということも起きている。
サックラー家との戦いのはずなのに、ナンとサックラー家の間には何人もの敵がおり時には司法もナンの敵となる。この厳しく恐怖な戦いを戦い抜いたナンをはじめとするP.A.I.Nのメンバーには尊敬の気持ちしかない。

公式HPより

写真家 ナン・ゴールディンの人生

ナン・ゴールディンという写真家の人生は、恐怖と自由の間で葛藤し続ける人生であると私は考える。ナンの姉であるバーバラは、同性愛者であったが親は理解しようとせず精神異常者として施設や病院などに放り出した。そしてバーバラは18歳の若さで列車に飛び込み自殺した。ナンも14歳の頃に家を出て、16歳の時にSatya Community Schoolに通う。しかし、ナンは対人恐怖症で半年ほど口を開くことはなかった。ナンは親からの愛を受けることなく育てられ、姉も亡くしてしまうという子供時代を過ごす。
しかし、ナンは学校で写真家 デヴィッド・アームストロングと出会い、写真の世界に飛び込み少しずつ自信持ち自分を表現していく。そしてドラッグ・セックス・暴力・ゲイなどを写真として寄り添った。
写真の世界に飛び込み世界的にも注目される一方で、やはり彼女の人生には恐怖が付きまとっていた。ある日当時付き合っていた男性から暴行を受ける。その男性は、ナンを失明させる気で暴行をしナンの目は失明直前まで傷つけられていた。また、ナンが企画したエイズをテーマとした展覧会は「健全な芸術ではない」とされ、国立芸術基金からの助成を撤回された。それに対してデモ活動を行うものの、デモに参加した多くの人が拘束されてしまう。
彼女の写真の数々をこの映画で見ることができるが、どの写真も日常に溶け込むことによる美しさの中にどこか恐怖や不気味さを感じる。自由に写真を撮っているが、そこから必ず彼女の邪魔をする恐ろしいものが出てくる。写真家 ナン・ゴールディンの人生は常に恐怖と自由の間で生きているのだと感じた。

戦い続けるという「信念」 そして「勇気」

サックラー家と戦う中で恐怖から逃げることなく戦い続けたP.A.I.N。私は戦い続けることができた要因として、P.A.I.Nメンバーの中に「オキシコンチン」に依存していた人間が多くいたことが挙げられると考える。実際ナンもオキシコンチンに依存した経験があり、恐ろしさを人一倍理解している。そして50万人という数の死者を出しており、そんな大量殺人を行っているサックラー家が芸術界で偽善者として権力を誇るのが許せなかったのだろう。だからどんなに不利な時でも執念深くデモを続け、最終的にルーブル美術館やメトロポリタン美術館からサックラー家の名前を消すことができた。
つまり大切なのは、「自分の信念を曲げずに勇気を出して行動し続けることである」とこの映画をみて感じた。

美しさをどう捉えるか

美しさとは日常的によく使われる言葉であるが、時にその美しさを美しいと思わない人がいる。サックラー家の行っていた世界中の美術館への寄付も美しい行動と捉えられる。そしてナンの写真の数々も美しと感じるだろう。しかし、その裏には偽善者のマスクを被り大量殺人を行っていた事実があれば、恐怖と共に生きながら撮影を続けていた人生がある。今私たちが美しいと感じることの裏には、私たちが知らない事実がある。果たして美しいと感じたものすべてを美しいものとして見える部分だけを切り取り理解した気になることは、正解なのだろうか。もしかしたら私たちは芸術というものを、もっと広く深い視野で見ていく必要があるのかもしれない。この映画は、新たな気付きを私たちに与えてくれる。少しでも興味が湧いたら今すぐ上映館を調べましょう。もうこの映画を見るチャンスはないかもしれませんよ。

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